レターポットをやっている人たちにちょっと伝えたいこと

エッセイ

冨森(ともり)ひろきです。

たいそうなタイトルをつけてしまったが、先に言っておく、僕はレターポットが好きだ。

,,,というか、まず、「レターポット」についてお話ししなくてはいけないか。

レターポットは2017年の12月にキングコング西野亮廣(あきひろ)さんによって提案されたサービスだ。

文字を運営からお金を出して買い、その文字で、誰かにレターを送る。

レターをもらった人は、その文字を貯めておくこともできるし、その文字を使って誰かにレターを送ることができる。

 

この通り。

よく議論されるのは「レターをもらった人が、それを日本円に換金できない」という点。

「じゃあ意味ねえじゃん!」みんな総ツッコミだったのだが、運営の狙いは、

「日本円にしなくても、レターで回る経済圏を作れんじゃね?」という実験にあった。

実際に、「レターポットで支払いオッケーです」とうたうサービスが増えてきている。お風呂屋さん、ラーメン屋さん、カウンセラーさん。

先日は、twitterでお坊さんが「お布施、レターポットでOK」というツイートしているのを目撃した。

レターポットでのサービスの支払いを受け入れるお店が増えれば、日本円を使わなくても、サービスを受けることができる。つまり、「レターポット経済圏」のようなものが成立することになる。

キングコング西野さんはこのことを「社会実験だ」と言う。なんともまあ、カッコいい。彼にしてみたら、このレターポットは、エンタメ、もしくはアートの一つで、「作品」らしい。凄く、いいと思う。

 

レターポットは僕の最新作と言っているのだけれど(実際に作っているのはエンジニアさんや、オンラインサロンのメンバー)、つまるところ、「お金とは何か?」を問う社会実験(アート作品)だ。
言葉だけで、商品やサービスの交換ができる現実を目の当たりにした時に、僕らは、長年僕らを支配し続けてきた「お金」について、そして、その必要性について考え始めることになる。オフィシャルダイアリーより

 



批判

これに対して批判も多い。利用者も多いぶん、そりゃやはりアンチもわく。

レターポッター「お金はいらないの、お金じゃないのよ、恩の送り合いなの、換金できなくていいの、ねえ一緒にやらない?」

→宗教勧誘かよ、怪しすぎ、ユートピアかよ、運営が儲けてるだけだろ

レターポッター「いやいや、宗教とか、そういう怪しいもんじゃないのよ、キングコング西野さんはね、本当にすごい人なの」

→やべえただの信者だ、目がとろんとしてるコイツ

という流れだ。

正直言って、批判する方の気持ちもわかる。

まず、長いこと当たり前のように使ってきた「円」を否定するのがイマイチだ。当たり前のように使ってきたものを突然取りあげる行為は、他人には暴力に見える可能性がある。

それがないと生きられない暮らしを僕たちは強いられてきたわけだから、それを突然に捨てることはできない。

例えるなら、松葉杖を長いこと使ってきたのに、突然誰かからそれを取りあげられるようなものだ。

拒否反応が出て当たり前だと思う。

それから、「宗教とかじゃないのよ」というセリフもちょっと良くない。

「宗教とかじゃないの」というセリフは大体怪しい団体が使う言い訳だ。宗教じゃないの、と言えばいうほど、宗教くさくなるというゴールデンルールがある。

加えていうと、宗教は悪いもんじゃない。「宗教=悪いもん」と捉えてしまってるあたりがまた微妙だ。特定の信仰を持つことで、人間の幸福度は上がる。悪いのは宗教じゃなくて、反社会性を持つカルト団体だろう。

むしろ「うん、宗教かも!」くらいに言ってくれた方が気持ちがいいかもしれない。その方が知性を圧倒的に感じられる。



レターポット経済圏が実現されるには

レターポットの面白さと狙いに気づけるのは、

「キングコング西野さんの熱心なファン」か、「社会の変化に敏感な層」か、「極端にピュアで良いものに俊敏に跳びつける層」だけだと思う。(今のところ)

無理に勧誘すればするほど、人の心は離れていく。

「自分が大事にしてるものを違う色に染め上げようとしてくる、侵略者か何か」に思われてしまう。

けれど、楽しく爽やかに人が集まってれば、そこには次第に人が集まる。勝手に、自動的に集まる。

もちろん、そこに人類全員が集まることはない。

今の世の中は「多様化」一直線だから、それぞれがそれぞれの道を選んでいく。レターよりも日本円が好きな人はいる。それはそれでいいのだ。多様化を否定すると大体そこにはケンカが生じる。

人は人、自分は自分。好きなものを選べば良い。

「この指とまれ」が一番だ。

この社会実験を選んだ人たちが爽やかに、遊ぶように参加していれば、いつか「レターポット経済圏」は実現されるのではないだろうか。

 

冨森(ともり)ひろき